2014年02月25日

芸術の街から急斜面を這い上がる

目の前に見えた、古い住宅街への急階段。ここから上がれば
見慣れた街への近道だ〜
と辿り着けるか若干の不安を覚えつつ、登り始めました。

1_古い住宅街へ上がる急階段.JPG

途中で女性に出会ったので、行けるかどうか尋ねた所、
ニッコリ笑って大丈夫よ、とのこと。(少々脚色有り)

こんな住宅街の中をクネクネと登ります。

3_古い住宅街の中を突っ切る.JPG

途中、猫2匹から、なんじゃい〜という目つきで睨まれ
フ〜!と威嚇されつつも、ズンズンと進みます。
写真は再掲です。

2_古いマンションの塀にて.jpg

何だかとても違和感のある「抵制邪教(邪教の排斥)」と
いう6、7枚セットの大きな張り紙をしげしげと眺めつつ
軽快な足取りでドンドン進みます。

4_途中の場違いに感じた啓蒙ポスター.JPG

細い分かれ道のこところに公安分室のようなものがあったので
中にいたおまわりさんに聞くと、あっちの道だというので、
安心して示された細い道に。上を見上げると建設中のマンションが
大きく見えています。古いマンションを押し潰さんばかりです。

5_古い住宅街の先には高台にそびえる建設中高級マンション.JPG

道が途切れ、細い急な石の階段に。大丈夫かしらんと思いつつも
ここまで来たら引き返せません。しかしあまりの急斜面で、
息も切れ始めます。

少し見通しの良い場所にたどり着き、下を見ると揚子江と貨物船の
コンテナの積み下ろし場が見えます。
重慶特有の靄で河中の島は見えますが、対岸は見えません。

6_少し登ったかな.JPG

クネクネとした細い石の階段をゼイゼイ言いながら登ると
建設中マンションが間近に見えます。

よく見ると、急斜面をせき止め、そこに作っているように
見えます。

7_急斜面に立つマンション.JPG

地震が襲って斜面が崩れでもしたら、間違いなくマンションは倒壊する
でしょう。岩盤の上にある重慶、地震のない重慶だからこそできる
建物でしょかうが、地震国日本で育った私としては、とても住める
ものではありません。オオ〜怖!と思わず身震い。

8_断崖絶壁の上のマンション.JPG

かなり登ってきました。八合目付近か。
もう息はゼーゼーゼーで、ふくらはぎパンパン。
気を抜くとフラフラと倒れそう。

後もう少し。頑張って休まずに登り続けました。

9_八合目.JPG

ようやく頂上付近。

下を見下ろすと、南駅や揚子江がよく見えます。靄がなけれぱ
見晴らしもいいのでしょうが、重慶ではそういう天候は極めて少ない。
残念だなぁ、と思いつつ、一気に頂上まで。

10_上がりきった〜ヘロヘロ.JPG

そこは「広厦城玉龍公園」という公園で、昔一度来たことがあります。

静かな公園をお年寄りや犬を連れた人達がのんびりと散歩です。

首にカメラをぶら下げ、大汗かいてハンカチで首筋など拭きつつ、
ハーハーゼーゼー喘いでいるおじさんを、皆さん、不思議そうに
眺めています。

暫く歩くと、下りになり、ちゃんとした歩道もあります。
しかし、道の先は断崖?と感じる怖い風景です。

11_下りにさしかかる.jpg

さらに下ると、視界が開け、そこには瀟洒の住宅群。
ここでも結構な高台でしょう。

12_さらに下るとそこは瀟洒な住宅街.JPG

小さな便利店があったので、そこで水を買って、前のベンチで
ひと休み。

隣に座っていたお婆さんの抱っこしていた幼子がじっと見つめるので、
日本語で「いない、いない、ば〜」をしたら、キャツキャツと喜んで
くれます。四ヶ月の女の子とのこと。

やっぱ言葉は要らない、身振り手振りが最高の言葉だ、と中国語の
不得手に対して自ら納得。

バス通りまで歩き、そこからバスに乗り、帰ってきました。
使ったお金は、行きのバス2元、水2元、帰りのバス1元の
合計5元(90円)の格安な半日散策でした。

そして、山の町、重慶をしっかりと体感できました。

何日かしたら、筋肉痛が襲ってくるなぁ。。
posted by ぼうらん at 23:45| Comment(2) | 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月23日

黄桷坪、そこは重慶の芸術の街

私の暮らす九龍坡区の南の外れに黄桷坪という地区があり
この中心街に、昔から有名な通称「川美」の四川美術学院が
あります。現在は、大学城という大学が多数集結している
地区にも新学校ができていますが、黄桷坪の方は、老校区
として今でも有名です。

そろそろ暖かくなってきたので、この付近を散策しようと思い立ち
行ってみました。5,6年前にも、一度、行ったことがありますが
街の風景はあまり記憶に残っていません。

楊家坪大洋百貨店前から、小さなバスに乗り、終点まで。
そこから坂を下ってテクテクとあるくと、目前に巨大な二本の
煙突がモクモクと煙を上げていました。電力会社のようです。

01_電力会社の煙突.jpg

気のせいか、目がシパシパ。重慶の中心地の工場はほとんど
郊外に移転しましたが、このあたりにはまだ残っていたようです。

途中には古い家屋や、昨日のブログに掲載した鶏が歩道に
つくねんと座っていました。「何しとっと?」と鶏に話しかけましたが、
我関せずで、威風堂々としたものでした。

02_古い住居.jpg

暫く進むと、右手に「重慶501芸術基地」という少々汚い門が
見えました。

03_重慶501芸術基地.jpg

中には「307芸術設計センター」や喫茶店のような施設が
ありましたが、特に変わったことは感じませんでしたが、この中に
60名以上の芸術家が暮らしているそうです。それにしても
501や307など一体何の数字なんでしょう?

04_307芸術設計センター.jpg

05_501内部のビル.jpg

そこを過ぎると、いよいよこの街の本領発揮で、壁に絵が
描かれたビルが見え始めました。

06_見え始めたビルの絵.jpg

ビル壁の絵のみならず、意味不明なオブジェもあります。

07_オブシェ.jpg

暫くすると、左手に四川美術学院が見えてきました。
美術大学らしく、正門は深淵なオブジェで目立っています。
学校名のプレートもなかなか重厚なものです。

08_四川美術学院正門.jpg

09_四川美術学院表札.jpg

大学内部は休日の為でしょうが、学生さんは見当たらず
付近の住民が散歩したり、子供達が遊んでいたり。
とても落ち着いた雰囲気のキャンパスです。

10_四川美術学院校内1.jpg

11_四川美術学院校内2.jpg

先生か生徒の作品でしょう。楽しい彫像などが沢山ありました。
楽しめた作品をいくつか。

12_彫像1.jpg

13_彫像2.jpg

14_彫像3.jpg

暫く楽しんで、学校を後にしましたが、校内には生徒さんか
職員の方の住まいなのか、こんな素朴な住居もあり、とても
静かで落ち着ける環境でした。

15_四川美術学院校内3.jpg

門を出ると、建物に描かれた美術作品のオンパレードです。
街全体が川美とともに息づいているように感じました。

16_ビル壁画1.jpg

17_ビル壁画2.jpg

18_ビル壁画3.jpg

19_ビル壁画4.jpg

20_ビル壁画5.jpg

芸術の街なので、街には美術関連の店が軒を連ねています。

21_美術関連の店.jpg

建物の壁画だけでなく、沿道の壁にも落書きもどきのイラストで
溢れています。

22_道路沿い壁画.jpg

公園には、公園に相応しい可愛い壁画です。

23_公園の壁画.jpg

幹線道路を歩いていましたが、一本河側の道に汽車の駅が
あるようなので、古い住宅街の細い路地に入りました。路地の
壁にも子供のいたずら書き風の壁画です。そして「ART102」の
表札。またしても不思議な番号です。

24_路地の壁画.jpg

坂をかなり下って、ようやく南駅に到着。
普段はあまり使われていないのか、改札付近には乗客らしき人は
一人も見かけず。

25_南駅構内.jpg

プラットホームには出られませんでしたが、近くで線路の見える場所が
ありました。靄と人が少ない為、何となく寂しい雰囲気でした。この駅は
揚子江から陸揚げされた貨物が中心なのかもしれません。

26_線路.jpg

その線路の見える広場で、数人の男女とバイク。よく見ると郵便局の
バイクでした。女性が何度もグルグルと回っているので、バイクの練習を
しているようです。指導(?)している若者に聞くと、練習中とのこと。

思わずカメラを向けると、練習中の女性はヤンヤヤンヤと冷やかされ
めげることなく、こっちを向いてニッコリ。

27_新米郵便局員.jpg

中国の郵便局のカラーは緑です。後で少し話をしたとき、日本は赤だと
教えたら、驚いていました。私もこつちでは緑と知ったときは驚いたので、
当然と言えば当然ですが。

そこから、山側の方を見ると、知った場所にある建設中のマンション棟が
見えるではありませんか。ああ、あそこまで行って、バスに乗って帰ろうと決心。

28_見上げると知った場所のあるビルが.jpg

この決心が大変な苦労をすることになろうとは、この時は分かろうはずも
ありません。直ぐ近くに見えたのですが、かなり高い山にあったのです。
今日はここまで。ここまで歩いた距離おそよ4Kmでした。
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2014年02月22日

2/22は猫の日

ニャーニャーニャーの今日2/22は日本では猫の日らしい。
1987年に制定されたようで、随分昔からあったようだが
知りませんでした。「猫と一緒に暮らせる幸せに感謝し、
猫とともにこの喜びをかみしめる記念日を
」という趣旨
とのことで、日本の猫たちは今日はとても幸せだったこと
でしょう。

中国にはあるのかな、と思って探してみたら、日本の今日を紹介
しているサイトがありました。
作者はなかなかの猫好きの方のようです。

どうも中国には、猫の日は無いようです。

猫の日とは知らず、今日は午後から我が家の猫達をほったらかして
カメラ担いで、散策していました。夜は、友人の日本人と日本食を
食べて、22時帰宅。後40分で猫の日も終わりなので、いつもに
増して優しくしてあげているところです。

今日の散策は、「山と谷の街、重慶」を嫌というほど思い知らされ、
一山登山した気分です。楽しい所を見て回りましたが、シンドイので
書くのは明日にします。

散策中に見かけた、猫と猫の好物の写真でお茶を濁すことにします。

古いマンションの塀にて
1_古いマンションの塀にて.jpg

歩道に、まるで猫のようにお座りしていた鶏
2_猫のように綺麗に座る鶏.jpg

ねずみ取り用の餌を販売していた人の小道具になっていた哀れな鼠たち
3_ねずみ取り餌アピールに使われている鼠.jpg

4_ねずみ取り餌の効能書き.jpg





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2014年02月19日

重慶工業文化芸術村

昨年末に重慶に戻って来た時、楊家坪歩行街に面した大洋百貨店
(私の会社もこのビルにあります)横の広場に、何やら彫像などが
建てられていました。

01_大洋百貨店前広場.jpg

休日にカメラを持って散策してみました。

歩行街を囲む環状道路とT字路交差点になっている角に
とても目立つ大きな錨がありました。

02_大きな錨1.jpg

02_大きな錨2.jpg

なんでこんな所に錨が? と不思議に思い、説明を読んでみると
アヘン戦争後、1890年3月に清国とイギリスで交わした煙台条約
(芝罘条約が正式名称らしい)により、イギリスが重慶で通商の
特権を得たとのこと。これは、清国にとっては一方的に不利な
不平等条約であったようですが、重慶にとっては開埠という
意味で、経済面では発展の契機となったそうです。

03_錨の説明文.jpg

重慶開埠以降の経済的な発展について、大洋百貨店付近から
歩行街の外に向かって、1.5Kmほどの街道沿いに、特色有る
工業文化芸術村のような施設を建立しようという計画のようです。

04_重慶工業文化芸術村紹介.jpg

後でネットで調べた所、重慶の経済発展史を、重慶開埠から始まり
沿道を四つに分けて、それぞれの発展段階の関連施設などを作るようです。


工業文化芸術村のスタートである大洋百貨店の広場には、
1890年(明治23年)〜1933年(昭和8年)の特徴的な彫像があります。

開埠前、糸を紡ぐ婦女子
05_糸を紡ぐ婦女子.jpg

開埠直後の人力車
06_人力車.jpg

07_人力車.jpg

沿道沿いにあった古い店舗などは全て撤去され、整備された塀には
歴史を追って、プレートによる説明書きが多数展示されています。
何回か通った串串香の店もどこにあったか思い出せず。

重慶工業創史記というプレートの最初に「日本選回森昌泰自来火・・」と
いう文字を見つけました。

08_重慶工業創史記.jpg

ん? 森昌泰さんという日本人が重慶の工業発展の礎に関係したのかな?と
中文力の無い頭で思いながら、更に読み進めていくと、少し詳細に書かれた
プレートがありました。。

近代工業出現
09_近代工業出現プレート.jpg

どうも、重慶の合川人の盧幹臣という人達が日本留学から帰国後に
「森昌泰自来火廠(後に森昌洋火公司)」というマッチの会社を
興し、この会社が重慶の近代工業企業の礎を開いたようです。

重慶のこのあたりには、小さな製造業が沢山あります。特にガラス工場を
多く目にします。余談ですが、ガラスは中文で「玻璃(ボーリー)」と書きますが、
赴任した当初、この看板がやたらと目に付くので、一体何だろうと不思議に
思ったものです。実は、恥ずかしながら、パッと見た漢字の印象が「薔薇」に
見えたのです。。

重慶は日本からは遠い所だと思っていたのですが、このことを知って、
少なくとも経済面では日本とも縁が深かったのだと、不思議な感傷に
浸ってしまいました。

当時の先駆者達
11_当時の先駆者達.jpg

後で調べて知ったのですが、日清戦争後の1895年4月(明治28年)に
締結された日清講和条約(中国語名は馬関条約)に、「清国は、沙市、
重慶、蘇州、杭州を日本に開放する」という条文があります。

政治的なことは別にして、この事が重慶の貿易都市としての始まり
だったそうです。(重庆发展的三段历史より)

重慶は、揚子江(長江)と嘉陵江という二つの大きな河の合流点にあり、
沿海部と内陸部の流通の要所として、古くから諸外国からも注目されて
いた事を改めて知りました。

なお、「日本選回森昌泰自来火・・」のプレートを見つけて、ホームページで
調べていた時に、「近代中国における留日学生の主要な学習対象」
(常雲平、張周:著、趙力傑: 訳)というタイトルの論文を見つけました。

これは、一昨年2012/12に重慶師範大学学術訪問団として東北大学を訪れた
常雲平先生が、同大学院で講演された元となった論文とのこと。日本への
留学生が多かった頃の歴史的背景や、なぜ留学生が多かったのかなど、
私たち日本人の耳に痛いこともありますが、非常に有益な論文です。

そういえば、重慶には東北大学に留学した人が多いと感じます。
既に60歳以上の人達で日本語堪能な先生方が多数おられます。

東北大学に留学されて、重慶理工大学の教授をされていた知り合いの
先生が、東北大震災に非常に胸を痛められ、せめて義捐金を募りたいと
相談されてきた事があります。

その先生は東北大学や宮城教育大学などで学んだ人達に募集案内
(2011/3/14)を出され、義捐金集めに奔走しておられました。

中には、給与一ヶ月分を拠出された方もいらっしゃったようです。
その先生は、その後、仙台にもお見舞いに行かれたそうです。
強烈に胸を打たれた思い出です。

話が外れましたが、重慶工業文化芸術村の散策は、まだ第一段目です。
第二段目以降、またカメラ担いで散策してみたいと思います。

まだこのあたりは古い建物も多く残っており、今、まさに取り壊しが
進んでいるところです。

10_付近の様子.jpg
posted by ぼうらん at 23:28| Comment(0) | 街の様子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月14日

久しぶりの串串香、旨いし、安い!

明日2/14は元宵節。新暦の情人節(バレンタインデー)と重なった
めったにない日です。

家族と過ごすべきか、恋人と過ごすべきか悩んだ若者達が多かった
ことと思います。

元宵節は、旧暦1/15で年が明けて最初に満月になる日です。
中国ではとても重要な日として位置づけられ、家族で湯圓という
まん丸い団子を食べながらお祝いするそうです。そして、この日で
春節期間が終了となり、本格的に仕事が始まります。

私もスーパーで買ってきて食べてみましたが、美味しいですよ。
2,3分沸騰したお湯で暖めればできあがり。白玉の中に
いろいろな具のものがあるようですが、私が買ったのは落花生味
でした。

1湯圓.JPG

この夜、同業者の人達と夕食を食べようと江北の観音橋歩行街を
うろつきました。

最初は日本料理店、満席でした。
次は老火鍋屋。ここにも待ち行列が。

老火鍋とは、古くからの味を伝えている店で、普通の火鍋に比べ辛い!
2老火鍋.jpg

元宵節と情人節が重なった影響なのか、飲店はどこも多くの人で
溢れていました。ふと火鍋屋の前に目を向けると串串香店があったので
そこに飛び込みました。

3串串香店.jpg

串串香は四川省や貴州省などで広く見られるようで、串刺しの肉や
野菜の火鍋の具が、大きな冷蔵庫の棚に置かれており、そこから、
自分の好きな串を取ってきて、火鍋の底料や唐辛子、山椒の
煮えたぎる鍋に入れて、食べるというもの。
料金は食べた串の本数で決まります。

6火鍋もどき.jpg

この店は、一串3角でした。「元」の下の単位が「角」で、最近では
スーパーやタクシー、銀行の利息ぐらいしか見る事がなくなりました。
3角と言えば、1元18円として5.5円。極めて安いです。

この値付けの合理的なところは、材料の仕入れ値の変動を一串の
材料の量で調整できること。値上げしなくても、量を簡単に減らせる
ので、実質値上げが容易なこと。物価高騰を受けてか、一串に僅かな
量しかない材料も多々ありました。

4取ってきた具.jpg

それでも重慶の山城ビールによく合い、ワイワイ言いながら食べられるので、
火鍋同様に重慶では人気があります。

5ワイワイ串串香.jpg

串串香店にとって重要な串は、膨大な本数が有り、洗浄後にしっかりと
屋外に干していました。

車の排気ガスで逆に汚れるのでは?
なんて事は考えずに、楽しく食べました。

7重要な串.jpg

精算をお願いすると、店員が慣れた手つきで素早く串の本数を
数えます。3名で200本ほど、ビール9本などもろもろ入れて
締めて120元(2100円)ほど。

8精算は串を数える.jpg

9回味串串香.jpg

帰り道、自宅近くの駅でモノレールを降りると、バラを売ってる
人達があちこちにいます。中国でのバレンタインデーは男性が女性に
バラを贈る習慣があります。

贈るバラの本数には”本数言葉”があるそうで、縁の無い私ですが
せっかくですので調べてみました。1本〜101本迄は1本毎に、
以降飛び飛びに1001本まで意味があるようです。

いくつか例を挙げると

1本;貴女だけを愛している
3本;我爱你 (文字数からか?)
108本;プロポーズ(理由不明)
365本;毎日貴女のことを想っている
521本;我爱你(発音が似ている)
1001本;永遠に(理由不明)

などと面白いです。中国の若者の間では、数字に意味付けして
チャットなどでやりとりをする場面を良く見ますが、本数言葉にも
語呂合わせなど何らか意味があるのでしょう。

最近はバラの値段も高騰しているようです。
本数言葉の意味からみても、1本で十分に気持ちは通じるのでは?
posted by ぼうらん at 00:20| Comment(2) | 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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