日本人に夕食を招待されたので、少し早く家を
出て、解放碑にほど近い「白象街」に行って
みました。
早くから開けた街だと本に書いてあったのを
見たことがあったからです。
途中の案内板で場所を探すと狭い地区でした。

ピンクで塗った部分が、長さ425メートル、幅は
10メートルにも満たない「白象街」です。
街に入ると、重慶の他の場所では見ない、
赤レンガが印象的な街並みでした。

狭い間口の店が沢山並んでいます。


直ぐ先は長江(揚子江)です。

どうも本で見たイメージと違うなぁと思い、
先ずは白象を探してみようと、歩いていた人に
聞くと、そこの先、歩いて1分とのこと。

確かに直ぐに見つかりました。
どうもこの街の雰囲気に合わない白い象です。
比較的新しく作られた象と感じましたが、
いつ作られたかは不明でした。

帰ってから調べてみたところ、長江の向こう岸
(南濱路と言います)に、慈雲寺という寺があり
その山門前に青い獅子の像があるそうですが、
青獅子と白象でかつて長江を渡っていた人達を
水難から守るという言い伝えが有り、そこから
白象をこの地に作ったという話が出ていました。
たしかに威勢の良い雰囲気の象です。
この白象の言い伝えから、白象街という名前が
ついたようです。
本に出ていたような古い建物が見当たらない為、
スマホでその建物の写真を出して、近くにいた
若い人達に聞いてみましたが、見覚えが無いとの
こと。近くで見ていた、老人が興味津々と寄って
きて、案内してくれるとのこと。
暫く一緒に歩くと「右側に古い建物があったが、
今はもう無い、残っているのはあのあたりだ」と、
最初に見た店の並んだ通りを指さして教えて
くれました。
礼を言って、歩いてきた道を戻ると、何やら
案内プレートのようなものが。

そのプレートに描かれていたのは、古い街並みに
建ち並ぶ洋館風の建物でした。これは1850年頃に
米国の会社が建設したもので、その後、汪全泰号
という絹織物の店舗になったようです。ここにその
建物があったのかと思ったのですが、暫く進むと
右手に朽ちかけた洋館風の建物が見えました。

どうもここが、その汪全泰号旧址のようです。
取り壊し寸前という印象です。

このあたりは、長江による貿易の拠点として
1930年代から続々と企業や電報電話局、そして
新聞社、雑誌社が建てられたそうです。

白象街は1950年代まで栄えましたが、その後
衰退していったようです。

重慶市の計画局は、2008年10月に「白象街」を
重慶市の1級の保護都市地区と指定したそうですが
今の状況を見る限り、取り壊し寸前と感じました。
古いものが新しいものに取って代わられるのは、
ある程度やむを得ないでしょうが、せめて、整備
して、観光地として残す方法もあるだろうに、と
残念に思えました。

朽ちかけた歴史的建造物の先に見える高層ビル。
印象的でした。

白象街の探索が終わり、解放碑に向かおうと
テクテク歩きました。37,8℃の暑い日。途中、
飲み物を補給しながら進むと、細い路地に
行き当たり、そこで聞くと上に行けば解放碑に
抜けられるとのこと。
急斜面の階段を上がると、古い家が建ち並び、
トランプで遊んだり、洗濯物を干したりと
住人の生活が息づいていました。
ふと見上げると、ロープウェイでした。

ああ、ここは長江索道の真下なんだと
理解しました。

汗だくになりながら急な石畳を更に登ります。
解放碑はかなり高い場所にあると理解は
していましたが、たしかにそうでした。

ようやく長江索道の駅までたどり着きました。

今回、知人宅を訪問する時間が迫っていたので
このロープウェイに乗るのは諦めました。
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知人宅は素晴らしいマンションでした。
そこで、ハンバーグ、パスタ、ハヤシライス等々
男の手料理ながら、多種多様な旨すぎる料理、
何と最後のシメは手作りプリンと珈琲。
招待された何人かで、美味しい料理を頂きながら
夜が更けるまでワイワイ楽しく盛り上がりました。
その方のベランダからの夜景です。
↓解放碑方面。

↓黄花園大橋

写真撮影:2014/7/26(土)
歴史と近代化が進む街が感じられる場所ですね。
高層ビルの周辺には古い街並みが残っている地区はまだ沢山あります。しかしこの数年でそんな場所も再開発で徐々に無くなりつつあります。私のように、そういう家屋に住んでいない者は、「残念だ」と無責任な感想を持ちますが、古い家屋には不便な点も多々あります。5,6階建てでエレベータの無いのは当たり前です。そういう所にお年寄りも沢山暮らしています。取り壊されて新しいマンションが建つのはやむを得ないでしょうね。でも、白象街のような歴史的文化的に価値ある地区は、市政府が頑張って残して欲しいと願います。