フーリン区新妙鎮の「帝豪ホテル」で迎えた夏休み初日のこと。
オヤジさんがドアをドンドンと叩きます。何事かと思えば、パスポートを貸してくれ、との事。どうも、昨夜うまく登録できなかった為、どこかで登録する必要があったようです。
昨日のブログを読んだ知り合いから、注意した方がよいとアドバイスをもらいました。中国では外国人がホテルに宿泊するときは、自分で公安に届け出る必要があるそうです。大きなホテルはホテル側でやってくれますが、小さな田舎のホテルではそういう事をよく分かっていない事もあるとか。
私はてっきりホテルにそういう義務があると思っていたのですが、本人の義務だったようです。公安さんにとっ捕まらなくてよかったです。
さて、パスポートが戻ってくるまでの間、付近を散歩してみました。田舎の町です。
鴨を売りにいくのでしょうか。道路の真ん中で出会ったおばさんと会話している人もいます。

田舎ではよく見る光景ですが、籠を背中に背負っている人達もいます。小さな子供にとっては、籠の中は居心地が良さそうです。冬は綿入れなど入れているので暖かいでしょう。

暫くすると、オヤジさんが戻って来ました。パスポートを返してくれながら、この後どうするのか?と聞かれたので、昨夜聞いたこの付近の見所に行ってみるので、道を教えてと聞くと、「案内するよ」と彼の車を出してくれました。場所も分からないので、好意に甘える事にしました。
最初に向かったのは、昨夜「ポトス」と聞いていた場所。植物のポトスしか思い浮かばず、何だろうと思いながら、車で山路を進みます。こりゃあ、とても一人では来れないな、というような山路の迷路でした。
ようやく着いて車を降り、坂道を少し上がるとボトスが見えました。

なんとそれは「普陀寺」というお寺でした。「プートゥオス」という発音ですが、私の耳にはボトスとしか聞こえませんでした。

後で調べたところ、普陀寺という寺は中国にいくつかあるようです。アモイにある南普陀寺というのが有名とのこと。でもなぜ、こういう田舎に普陀寺があるのだろう・・

建物の中では、書物を見ながらお経を勉強しているお爺さんとお婆さん。その人達に黙礼し、眼前のお釈迦さまに膝をついて神妙な顔で拝礼しました。

屋外の小屋には弥勒の文字から弥勒菩薩でしょうか。もっとスリムな印象がありましたが、随分、ふっくらされているようです。

そこを出て、次に向かいます。オヤジさんは運転中も携帯電話に向かう程、絶えず仕事の連絡を取り合っています。申し訳無いとは思いましたが「気にするな、問題無い」と案内を続けてくれました。
着いた所は「弋陽農講所」という建物でした。道々、毛沢東の同志が付近の農民達に学問を教えていた場所だ、と聞かされていました。
実は、ここで聞いた同志は後々、ある人物に繋がるのです。

フーリン区の保護対象になっているようです。中に入ることはできませんでした。普陀寺でもそうでしたが、観光客はおろか付近の人もほとんど見かけないような場所です。


そこを出て、一旦ホテルに戻り、チェックアウトをした所で、次、どうするのだとまたオヤジさんに聞かれました。
元々は、龍興鎮という古鎮に行く予定でしたが、フーリン区に来てしまったので、予定を変えてフーリン区内の龍譚鎮に行くと伝えた所、「丁度、人を送るので、途中まで道を案内する」とのこと。
もうこここまで世話になれば、甘えようと思い、オヤジさんの車の後をついていきました。
高速道路入り口付近で、二股に分かれている所で「そっちが、龍譚鎮の方向だ。大順郷に向かって進め」とのこと。何度もお礼を言いそこでお別れして、二手に分かれました。
それにしてもなんて親切で面倒見のよいオヤジさんだと感動でした。
言われた通りの山路をどんどん進みます。きちんと舗装はされていましたが、車とすれ違うこともない、グネグネとした山路です。道を聞いていなければ、不安で即Uターンでしょう。

こんな雰囲気の田舎の道。

こんな石橋もありました。
ひたすら上り坂です。

昔、革命家達がいたのだろうか?
かなり高いところまで上がってきた所で家がポツポツ見え始めました。レンガがとても可愛らしく印象的です。

少し離れた所に取り壊したレンガが無造作に置かれていました。

意図的な焼き方なのか、結果的にこんな模様になってしまうのか不明ですが、これをうまく組み合わせて、印象的な模様のレンガの家になっているようです。
ようやく大順郷の一つの村に着いたようです。

ほどなくして、大きな学校がありました。「大順更新学校」という幼稚園、小学校、中学校が一つの敷地内にあるようです。

ここに「李蔚如」という人の銅像が建っています。

どんな人なんだろうと思いつつ、更に先に進みます。
と、ある案内板が目にとまりました。

「李蔚如」という人は大順郷出身の革命の士だったようです。



キリリとしたハンサムな印象を受けました、
彼の経歴が記されていました。

1883年生〜1927年没。この付近で生まれた革命家で、若いときに日本に留学していたとのこと。また、教育にも力を尽くし、学校をいくつか設立した。最後は、国民党により帰らぬ人となったとのこと。
大変失礼ながら、こんな山の中の若者が日本に留学していたというのは驚きと共に不思議な縁を感じました。
あのオヤジさんに連れていってもらった弋陽農講所で聞いた毛沢東の同志とは李蔚如のことだったのでしょう。
この地域一帯で尊敬されている人物なのでしょう。
暫く、ぼんやりと感慨に耽りつつ、この地を後にしました。
途中に風情のあるバス停のようなものがボツボツとあります。

更に進むと「天宝湖」の案内板がありちょっと寄り道しようとそちらに車を向けました。
細い下り坂になり、なかなか無いなぁと思った頃、籠を背負ったお婆さんが坂を登ってきたので、「天宝湖」の場所を聞いたところ、行き過ぎていたようです。
かなり痩せて、高齢に見えたので、坂道が大変だろうと車に乗ってもらったのですが、乗った瞬間から威勢のよい声でガンガンしゃべり始めました。
「天宝湖」に着いて、車を降りてもらうと、お婆さんはニッコリ笑いながら、手を振り、威勢の良い元気な声で、
『シェーシェー(謝謝)! ザイジエ〜ン(再見)!』
圧倒されました。
<続く>